浦添ロータリークラブの歴史

発足

1967年4月14日(金)牧港の香港ガーデンにおいて、那覇西クラブをスポンサーとし、特別代表糸洲安剛氏のもと、熱意に燃えた24名のチャーターメンバーが浦添ロータリークラブの創立総会を挙げられました。
同年6月29日国際ロータリーの加盟承認を受け、地区クラブ中26番目、国内2211クラブ中810番目、県内8番目のクラブとしてめでたく発足いたしました。

年を越して1968年2月16日(金)香港ガーデンにおいて認証伝達式が挙げられました。特別代表糸洲安剛氏は浦添ロータリークラブの創立に向け、浦添村内に新しく設立された琉球洋酒(株)の代表者 新里清篤氏を那覇西クラブから移籍させて、初代会長に据えました。
また、クラブバナーは糸洲安剛の経営する星印印刷の二科展に入賞した実績を持つデザイナーに特命で、しかも無償で作っていただきました。

当時の日本で唯一の「村」のロータリークラブ

浦添ロータリークラブ創立のころはまだ「村」で中頭郡浦添村でした。
村にロータリークラブのあった所は日本全国どこを探しても浦添村だけでした。

当時、村内の経営基盤は脆弱で除々に会員の維持・増強が難しくなり、ニクソンショックを機に会員数が減り続け20名を切る状況が発生したことがありました。その後、78~80年度にスポンサークラブの那覇西クラブから、那覇泊3丁目から曙・港町までのテリトリーをいただいて会員増強を図りました。
その結果、那覇も含む地域になったので、理事会で名称を「那覇北クラブ」にする提案もありました。しかし日本で唯一、村でロータリークラブを提唱したクラブの名前は変えないでおこうということになりました。

放浪の時代も

浦添ロータリークラブの最初の事務局は琉球銀行浦添支店でした。その後転々と事務局が移りかわる放浪の時代もありました。
10周年を機会に友利愛彦会長の時、会場をホテルエッカに移転。
30周年を迎える前年度の1995年8月に上門進助会長の時、会員増強をにらんで勢理客に事務所を移転、9月1日に会場を東急ホテルに移しました。

2000年10月同ホテル閉鎖に伴い、2000年11月2日より、川畑保夫会長の時に現在のナハテラスに例会場を移転しました。
会員数が少なくて苦節の時代もありましたが、歴代会長の努力によって会員の増強が計られ、’79~80年度に22名~36名、’95~97年度、30週年の年に46名~65名へ増強されました。

そして地域への貢献

地域社会においても、活発な活動を通じて貢献し発展してまいりました。
沖縄分区で交換留学生を受け入れたのも、ロータリー財団でアメリカの大学院に学生を送り出したのも沖縄では浦添ロータリークラブが最初でした。
2001年4月12日には昭和薬科大学付属高等学校にインターアクト・クラブを提唱しました。地区で25番目、沖縄分区で7番目でした。

また、1999~2002年度まで連続3回ガバナー賞を受賞するなど、目覚しい活躍をしています。
姉妹クラブ、友好クラブの締結も図られました。1980年4月19日、秋岡良介会長の時に台湾宜蘭県蘇澳ロータリークラブと姉妹クラブの締結がなされました。
1994年9月7日、照屋安正会長の時に名瀬中央ロータリークラブと友好クラブの締結がなされました。

そして、2002年4月11日、創立35周年を記念して、かねてより親交のあった 岡山県井原ロータリークラブと友好クラブの締結をいたしました。
さらには2002-2003年度 比嘉宥海会長の年度の2003年3月6日に東京豊島東ロータリークラブと友好クラブの締結し、交流を深めております。
2003年7月に例会場を眺望の良い現在のホテルダブルツリーbyヒルトン那覇首里城(旧ホテル日航那覇グランドキャッスル)20階のスカイビュープラザに移転しました。